校歌の由来
昭和36年(1961)全校生徒から図案を募集し、小松昌博さんの作品に決まりました。
「この図案は、清らかにすくすく伸びる桐の葉と知識の源であるペンと組み合わせ、高い理想をもって学問に励む姿を表している。また、全体の形は、充実したまとまりのある学校にしようという願いをこめて三角形にしてある」
校歌
古田 拡 作詞
有賀 正助 作曲
塚田 紀昭 補詞
一 つどひ寄る あふちの木陰
風かをる 阿智の学舎
青雲に いばふ駒場の
若駒の 千里の心
二 知者の里 その名を負ひて
磨きあふ 知恵の鏡や
伍和の丘 阿智の瀬音と
相和する 清き歌声
三 慕ひ行く 大まきの路
語らはん 御所の里辺に
見上げれば 平谷の嶺に
湧き上がる 夢のかずかず
四 高原の 気は澄み渡り
胸うちひらく 富士見台
御坂にいはふ わが命
母父がため 道のため
五 ありとはみえて ははき木の
見えぬ心に 天地の
深き神秘を 身にしめて
生き貫かむ 君と我
あゝ永久に
光あれ ほまれあれ
阿智中学 永久に 永久に
(昭和三十六年四月制定)
生徒数
令和元年(H31) | 195 |
令和2年 | 190 |
令和3年 | 186 |
令和4年 | 183 |
令和5年 | 190 |